あなたのひと押しで第1位へ
コメントが、書き込みにくい場合は、下のFC2版からお願いします。

2012年01月11日

橋下市長と労働組合

橋下大阪市長と労働組合の戦争が始まっている。
勤務時間中における選挙活動などが明らかとなった労働組合に対して、橋下市長が組合事務所の市庁舎からの退去などを求めているのだ。
組合事務所の撤去については、団結権の侵害等、様々な意見があろうが、この機会に日本の労働組合について議論することは良いことである。

大阪市職員の労働組合については、大阪市役所労働組合(大阪市労組)、大阪市労働組合連合会(市労連)、大阪市従業員労働組合(市従)、大阪市職員労働組合(大阪市職)など、6団体もあるそうである。
みんな似たような名前だし、各組合のHPを見ても6つの組合が必要な理由は全く分らないが、これらの組合の数は、民主党系、共産党系、社民党系など支持政党の数だけ組合があるのに加え、当局が作った御用組合も幾つかあるのだろう。

本来、労働組合は資本からの独立、政党からの独立、信条の自由が鉄則であり、各政党の集票マシンや実働部隊としての機能に徹している現在の労働組合には労働組合を名乗る資格はない。

かつて60%以上を誇った労働組合組織率(全雇用者に占める労働組合員の割合)は、2010年において18.5%となり2割を切って久しい。
この状況は、過去において管理職以外の労働組合加入率が100%に近かった公務員労働者(国家公務員14万3千人、地方公務員137万7千人)でさえも労働組合へ加入する者が激減(組織率48%)しているのが現状だ。

日本の労働組合は何故このような情けない状況となったのか。

非正規労働者の増加や名ばかり管理職の出現といった理由もあるだろうが、基本的には労働組合に期待するものがなくなったのである。

委員長専用車のプレジデントに乗り、組合にヨットを買わせて愛人と遊び、毎夜政治家と銀座で豪遊した日産自動車の塩路一郎などの労働貴族が出てきたり、各組合の委員長就任が幹部取締役への登竜門となっている企業の出現など、労働組合は過去から徐々に変質していったが、それを決定付けたのは連合の誕生あたりではなかっただろうか。

総資本対総労働を掲げて1989年に日本労働組合総連合会が誕生した。
この設立目的は旧総評内の共産党系労働組合の排除と政治への影響力の確保であった。
初代連合会長の山岸章は、政局に大きく関与することのみに徹して、組織の票を後ろ盾に各政党の幹事長クラスと連日、銀座で飲んでいたし、実際、細川連立内閣の誕生にも関与した。

歴代連合会長は企業経営者に組合対策を任されたエリート達だった。
第4代会長の笹森清(電力労連:東電出身)が高卒であったのを除けば、芦田 甚之助(早稲田)鷲尾 悦也(東大)高木 剛(東大)古賀 伸明(宮崎大学)といった有名大学を卒業した企業の幹部候補生が、経営側の意図により会長に就任して政界とのパイプ役を務めている。
彼らは労働者ではあったが社会的弱者ではなかった。
因みに、高卒で会長となった笹森は、国立大学出身者が顔を揃えた有力単組からの「笹森降ろし」の中、苦労するが、その主張には聴くべきものもあった。
笹森は、労働組合の使命は内部告発であるとし、企業の社会的犯罪を内部から告発しなくなったから組織率が低下したというのが持論であった。
そして、笹森は連合を追われた。

その後、政治への関与を主要命題とした労働組合は企業経営者と対立することがなくなっていった。
春闘の賃金闘争では、いつの間にか連合としての妥結目標を掲げなくなり、統一交渉日や一斉回答日を定めて春闘をセレモニー化していった。
労働組合は闘争を行わないまま、民主党や共産党の後援会に変貌し、各組合の幹部は潤沢な組合費を「行動費」と称して銀座や赤坂で湯水のように使用した。

闘争をしない労働組合は、闘争資金をもて余して財テクに走るようになる。
NTT労組では2009年末に闘争資金が548億円にまで詰み上がった。
東北大震災の仮設住宅建設費用が総額で約700億円であるから、この金額は凄まじい。
三菱自動車労組では使用することのない闘争資金24億円を労働者に返還したが、その一方で、不採算商品の乱売により2000年に経営破綻した協栄生命では、経営破綻が確実となった時期においても労働組合が闘争資金を使って、経営陣が個人的で保有する自社株式の購入を続けた結果、株式は紙屑となったのである。

過去に日本中で行われた実りない泥沼の労働争議が正しいとは言えないが、闘争をしない労働組合に労働基本権は不要である。
このような政治ばかりに目が向いている労働組合は職場の権利を守れず、労働組合員以外の非正規労働者などには目もくれない。
この間、職場では、不当解雇や鬱病の万延など、緊急に取り組むべき課題があったのに労働組合は何もしていない。

こんな労働組合に誰が多額の組合費を納めるだろうか。

日本から真の労働組合がなくなった今、日本は未曾有の危機に面している。
格差社会と経済の縮小、政治への極度の不信感に加え、歴史に残る大災害に見舞われた日本。
今こそ、労働組合が働く者や国民の困窮を打破する国民的運動の先頭に立つ必要があるのだ。
必ずしも労働闘争を行えということではない。
労働組合が進むべき方向をしっかりと確認すべきなのだ。

大阪市における橋下市長と労働組合との激突は現在の労働組合の実態をさらけ出し、その問題点を捉える良い機会である。
他の労働組合にとって大阪市の話は「隣の火事」ではないのである。
posted by 8ちゃん at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月10日

震災復興は誰のために

震災関連報道で仙台の現状が報じられていた。
震災関連工事などの特需で仙台市国分町あたりの歓楽街はバブル期以来の活況だそうだ。
客の中には一晩で100万円単位の豪遊をするものもいて、タクシーも例年より3割増の売上だと報じていた。
銀座や北新地での一晩100万円は珍しくないのだろうが、仙台の客単価を考えるとこれはものすごい数字である。

客の多くは震災関連工事の関係者らしいが、地域にどんどん金を落とすのは良いことなのだろう。

でも、違和感がある。

この震災復興事業は喫緊の課題であり、激寒の中で不安な日々を送る被災者のために一日でも早い復興を成し遂げてあげたいことに異論はない。

しかし総額19兆円に及ぶ政府復興関連予算は国民全員が所得税や地方税の負担、消費税の負担などにより、身を削って出し合っていくのだ。
この負担は真に復興を願うためのものであり、脂ぎった土建屋のおっさんがキャバクラで散在するために出す金ではないのだ。

東北では、工事を請け負う業者の不足や資材の不足による工事代金や資材価格の高騰が起こっている。
この背景には現地の行政がかつて経験したのとのない予算の存在がある。
例えば、宮城県の復興予算は23年度一次補正により、7,158億円が追加補正され、24年度と併せて3兆7,754億円の予算が組まれている。
今後10年間では約13兆円の予算が復興関連事業に使用される。

これらの財源は、宮城県が地方債を発行して、その償還を国が行う震災復興特別交付税や資金使途が自由な復興交付金により、その大半が賄われる。
宮城県の通常予算が8,400億円(23年度一般会計当初予算)であることを考えるとこの金額の大きさが分るし、この通常予算にも毎年の公共事業関連予算が含まれるので工事関連予算は更に膨らむ。
また、事業者が機械や工場の再建をしたり、住民が自宅の建て直しをする金の一部には補助金が支出されるが、残りはこの予算とは関係のない民需であり、この金額も多額である。
平成23年度の国の公共事業予算は総額で4兆9,743億円であるから、宮城県だけでほぼ日本国の公共事業に対抗できるほど、この予算規模は巨額なのである。

何度も言うが、復興事業を否定するものではない。
しかし、震災復興という言葉を免罪符にして、適正な積算や業者選定が行われず、予算のばら撒きが行われているとしたらどうだろう。
仮設住宅建設の作業員の日当は6万円である。
瓦礫処理は3万円だ。
この価格にはそれなりの理由があるのだろうし、仕事を失った人たちに渡るのなら許される。

しかし、この金を多くの暴力団が吸っていることも事実なのだ。
実際に、大阪西成区の暴力団(K組や旧O会)は萩之茶屋の駅前で労働者をトラックに載せ、東北へ搬送して大儲けをしているのだ。
1日の日当15,000円(西成では破格)で集められた労働者は、飯場へ住み込まされる。
そして施主や元請から支払われる瓦礫処理の日当30,000円のうち、半額である1万5千円をピンはねされ、食事代と称して毎日1,000円が引かれ、作業服貸賃が月に5,000円、挙句の果てにはタオル代やスリッパ代と称して金を搾っていくのだ。
手許に残った僅かな金もノミ屋やサイコロ賭博などで巻き上げられる。

宮城県の村井知事は定例会見の中で、「再生をしようとしている企業の皆さんが工事を発注してもなかなかやってくれる業者がないのです。やっと見つけたら、非常に価格が上がっています。」と発言している。
業者を選定する状況にないのだ。
県や自治体が発注する事業についても同じことなのだろう。

まさに売り手市場なのである。

震災は国民全体を襲った悲劇である。
工事関係業者が久し振りの特需に沸きかえることも理解できるし、適正な利潤を確保することに何の異議もない。
しかしながら、ゼネコンなど工事関係業者も国民の一人として震災復興に向けて最大限の協力をして、「薄く広い利益」の観点で協力して欲しいものだ。
我々国民が増税を通じて込めた東北への思いは、暴力団の懐を潤したり、土建屋が成金になって歓楽街で豪遊するためのものではないのだ。

全国では工事がなくて苦しんでいる業者も多い。
国は、全国的な規模による資材調達や工事分担を目指すべきである。
直接の工事発注者は、暴力団排除に加え、透明性のある積算と業者選定を開示すべきだし、出来ないのなら国が統一工事基準の適用の徹底を図るなどの施策も必要だろう。

来て欲しいのは東北の春であり、土建屋の春ではない。
posted by 8ちゃん at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

5649万円のマグロ (その2)

さて、市場といえば安物の政治家が市場原理という言葉を振り回すが、こいつらには現在の市場が全く分っていない。
市場が需要と供給により決まっていたのは昭和の時代までで、現在では「思惑」がその動向を決めているし、市場へ投入されるものは現物通貨ではなく、デリバティブズや証券化されたコモデティなのだ。

例えば、世界の原油価格を決めてしまうWTI(West Texas Intermediate)は、世界の原油生産量からみれば1%程度だ。
しかしここにマネーゲームの資金が飛び交うこととなる。
ドルが長期低落傾向にある中、投資家はドルを「何か」に変えてドルの値上がりを待つことになる。
それは「円」であったり「金」であったり、そして石油などの先物だったりする。
一時期、小麦やとうもろこしが値を高騰させたが、これも「ポスト・ドル」のひとつの姿である。

投資家はドルを売って石油の先物を買うのだ。
彼らは石油が欲しいわけではない。将来の裁定取引による利益が欲しいのである。
そこには古典的な需要という言葉はない。

小泉純一郎と竹中平蔵のころ、女衒業である派遣会社を法で保護し、格差社会を作った言い訳は市場原理への帰依であった。
その結果、企業は人間を道具のように扱いだした。
安価で仕入れて不要になれば、切り捨てることでコストを引き下げたのだ。
終身雇用制度が衰退したとき、企業人は企業に全身全霊を投じることはなくなり、優秀な頭脳が流出して、日本経済はその力を無くしていったのだ。
皮肉にも、身を任せる企業環境を与えられた韓国企業や中国企業(その多くは終身雇用を取り入れている。)はあっという間に日本を抜き去っていった。

企業は人件費が商品価格を押し上げて新興国に対抗できないと言う。
それは、自分が社長にいる期間だけの経営改善だろう。
非正規雇用や海外生産によるコストダウンには限界がある。
日本が生き延びていく唯一の手段は、創造力と技術しかないのだ。
もっと将来を見据えたリストラクチャーをしなければ、日本は死亡する。

市場原理という亡霊といつまで付き合っていくつもりなのか。
「市場」という綺麗な言葉を過信してはいけない。
posted by 8ちゃん at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事のランキングはこうなっています。⇒ひらめき
ご訪問、ありがとうございました。またのお越しをお待ち申しあげております。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。