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2012年01月08日

5649万円のマグロ (その2)

さて、市場といえば安物の政治家が市場原理という言葉を振り回すが、こいつらには現在の市場が全く分っていない。
市場が需要と供給により決まっていたのは昭和の時代までで、現在では「思惑」がその動向を決めているし、市場へ投入されるものは現物通貨ではなく、デリバティブズや証券化されたコモデティなのだ。

例えば、世界の原油価格を決めてしまうWTI(West Texas Intermediate)は、世界の原油生産量からみれば1%程度だ。
しかしここにマネーゲームの資金が飛び交うこととなる。
ドルが長期低落傾向にある中、投資家はドルを「何か」に変えてドルの値上がりを待つことになる。
それは「円」であったり「金」であったり、そして石油などの先物だったりする。
一時期、小麦やとうもろこしが値を高騰させたが、これも「ポスト・ドル」のひとつの姿である。

投資家はドルを売って石油の先物を買うのだ。
彼らは石油が欲しいわけではない。将来の裁定取引による利益が欲しいのである。
そこには古典的な需要という言葉はない。

小泉純一郎と竹中平蔵のころ、女衒業である派遣会社を法で保護し、格差社会を作った言い訳は市場原理への帰依であった。
その結果、企業は人間を道具のように扱いだした。
安価で仕入れて不要になれば、切り捨てることでコストを引き下げたのだ。
終身雇用制度が衰退したとき、企業人は企業に全身全霊を投じることはなくなり、優秀な頭脳が流出して、日本経済はその力を無くしていったのだ。
皮肉にも、身を任せる企業環境を与えられた韓国企業や中国企業(その多くは終身雇用を取り入れている。)はあっという間に日本を抜き去っていった。

企業は人件費が商品価格を押し上げて新興国に対抗できないと言う。
それは、自分が社長にいる期間だけの経営改善だろう。
非正規雇用や海外生産によるコストダウンには限界がある。
日本が生き延びていく唯一の手段は、創造力と技術しかないのだ。
もっと将来を見据えたリストラクチャーをしなければ、日本は死亡する。

市場原理という亡霊といつまで付き合っていくつもりなのか。
「市場」という綺麗な言葉を過信してはいけない。
posted by 8ちゃん at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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