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2012年01月16日

17年目の1月17日〜復興の意味するもの。

平成7年1月17日午前5時46分。
死者・行方不明者6千4百余人、全半壊家屋25万棟、損壊家屋39万棟などの被害をもたらした震度7の縦揺れは、たくさんの人生を一変させた。
神戸はあの日から17年目の冬を迎えている。

人々の記憶が薄れだし、神戸の街がいつもどおりの賑わいを見せている頃、東北大震災が発生し、あの時の記憶を蘇らせた者も多かっただろう。
勿論、東北の地震がなくとも、地震で家族や知人を失った記憶が消えることはないだろう。

あの地震から17年後の神戸。

震災当時、ライフライン等のインフラ復旧、復興本部の設置や避難所、仮設住宅の建設、復興特別措置法の制定などは、当時の村山内閣に対し、各方面から「遅い」との指摘があったものの、今回の東北大震災に比べれば比較的早期に対応できていた。

本格的な街の復興は、過去最大の予算規模により市街地再開発計画により、広域での復旧が行われ、高層住宅や商業ビルが多数建設された。

兵庫県知事も神戸市長も復興の達成を自慢し、自信たっぷりに東北の各県にノウハウの提供を申し出ている。

でも…、神戸は本当に復興したのだろうか。

神戸市の長田地区は昔から、「履物の街神戸」を代表するケミカルシューズのメーカーが密集していた。
980円や1980円など、価格の最後が980円としたのも長田のケミカルが最初だったような気がする。
ケミカルシューズは需要の浮き沈みが激しく、売れないときは全く売れない。
それでも細かい手作業と廉価量販のための数量確保のため、作業場が休むことはなかった。
そういえば、「アーサーヒル・バーン」というケミカルシューズの製造会社があった。
アーサーというくらいだから英国系の靴会社かと思っていたが、良く聞くと一日中忙しいから、「朝・昼・晩」という意味だった。

お好み焼きに牛スジを入れたのも長田が最初だったし、牛スジを揚げたものをうどんに入れたボッカケうどんやソバ飯も長田が始まりだ。
在日韓国人や在日朝鮮人も多く住み、年末には必ずどこかで火事があったが、銀行への借金が返せず、火災保険目当ての放火だという噂が絶えなかった。

因みに長田地区には今では駅前に三井住友銀行があるが、過去において都市銀行や地方銀行の支店はなく、信用金庫(淡路信用金庫と兵庫信用金庫)の支店が2店舗あるだけだった。
この理由は、長田地区の経済の特殊性にある。
長田地区では、ケミカル業者特有の数万円単位の少額手形が毎日、数百枚単位で割引に出され、かなりの確率で不渡りが発生する。
金融機関はこれを見極めるのだが、担当者が転勤の多い都市銀行や地方銀行ではこれが出来ない。
同じ支店の融資担当を10年程度続けることもある信用金庫でしか手形を分別できなかった。
ある信金の担当者は不渡手形を「ニオイで嗅ぎ分けるのです。」と言っていたものだ。

そんな庶民の街だった長田は今や高層住宅や商業ビルばかりの街となり、駅前に造られた鉄人28号の巨大像のみが目立つ街となっている。

長田の街から人間が消えたのだ。
2710億円を投じた新長田地区再開発計画により、長田のお好み焼き屋やケミカル製造業者は商業ビルの賃借人となり、住民もマンションに移り住んだ。
その商業ビルもマンションも空き店舗や空室ばかりとなり人の声が聞こえないのだ。

何があったのか。

新長田地区の震災復興再開発計画は震災から2ヵ月後に超スピードで決定されている。
実態を無視した無謀な復興再開発計画により巨額の費用を投下してマンションや商業ビルは出来たものの、ビルは埋まらず、空き家ばかりとなって街が寂れていったのだ。

新長田駅周辺の再開発計画は、対象地区面積20.1ヘクタール、1600世帯4600人が暮らしていた街に、30階建てを含む39棟のビルを建て、分譲住宅2000戸、賃貸住宅1000戸を含め立体化を図るものであった。
この段階で、住宅は約半数が過剰となる。
さらに、4600人の住民のうち、再開発による換地を受けることができる借地権者を含む地権者は1757人で、そのうち所有権者は894人に過ぎない。
その他大多数を占める借家人は再開発事業の地権者とはならない。つまり、大多数の人は新たにお金を出してビルやマンションに入居するしかなかったのだ。

しかしながら、このような根幹的な空き家問題を抱えつつも、建設工事は超長期間継続されており、平成23年12月には31棟目のビルが完成しており、ビルの建設は今後も続いていくのだ。

新長田地区の復興再開発計画について、日本建築学会が震災から4年後の平成11年に実施したアンケート(計画系論文集554号)によれば、平成11年時点において、当該復興事業により建設したビルへの入居希望の割合は、商店、事業者で入居を決めているものは10%に過ぎない。
さらに、当時、商店、事業者は、長期にわたる仮設店舗での営業で疲弊しており、更なる廃業者が頻出する可能性もあった。

また、店舗面積も2万uだったものを6万uまで、一挙に3倍に拡大する計画であったが、これは地区外部からの店舗需要がビル運営の必須条件となり、それがなければ共益費の高騰などに直結することが明白であった。

結局、各種の危惧は現実のものとなり、長田地区はかつての賑わいをみせることなく、死んだ街になりつつある。
震災による復興予算を行政と土建屋が食い物にしたのである。
それでも神戸市はビルを建て続けている。

我々が望むのは街の復興である。
街は人が生き生きと暮らして、はじめて街と呼べるのだ。
コンクリートのビルを建てることが復興はない。

「復興って何ですか。」
この計画を進めた議員や役人に聞いてみたい。

賢明な日本国民は、国も地方もこんな計画を策定する連中に行政を委ねているのだ。

東北の復興が長田地区の二の舞にならないよう祈りたい。
posted by 8ちゃん at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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