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2012年02月28日

「穢」という感情

群馬県が、国定忠治で有名な赤木山の山上にある大沼のワカサギ釣りを解禁したというニュースが流れてきた。
放射性セシウムの人体への影響を配慮して、群馬県が赤城大沼漁協に対して、ワカサギ釣りの自粛を要請していたものを解除するというものだ。
ただし、釣り上げたワカサギは漁協が回収するそうである。
漁協が貴重な入竿料収入を確保したい気持ちも理解できるが、食糧確保目的ではないレジャーとしてのワカサギ釣り自体、喫緊の必要性があるとは言い難い。

それにしてもちょっと騒ぎすぎだろう。

第一、 漁協が回収したワカサギはどうするのか。
ワカサギは美しく弱い魚である。
キャッチアンドリリースではなく、釣り上げたものを最後に漁協が回収するのだから、ワカサギの命運は釣り上げられた時点で尽きているのだ。

可哀想なワカサギ…。
シーシェパードに告げ口するぞ。

京都五山の送り火での被災地の松薪の拒絶から始まり、福島から遠く離れ、風向きからみても被曝の可能性が殆ど無い岩手や宮城の瓦礫処理に対する反対運動に至るまで、あっちこっちで放射能に対する忌避が起こっている。
勿論、拒絶や反対を叫んでいるHystericかつCulticな輩が多数ではなく、Silent Majorityとも言うべき多くの人たちは「絆」の意味を理解していると信じたいが…。

何時までこんな事をやっているのか。

政府の対応の拙さや情報開示への疑念と言ったことが不安を増長させている面も大きいが、放射能という見えないものへの「穢」という感情は、内容や結果を誰も知らないまま、場合によっては憶測や風評により加速、巨大化して、体の中に住み着いてしまう。
それは生活習慣病や交通事故と言った身近な危険よりも、優越的に脳内組織を犯しているのだ。
そして、かつて、らい病患者に対するいわれなき差別を生んだのも、この「穢」という感情であった。

海外の事例で面白い話が新聞に載っていた。
子供の水泳授業について、父兄から水質や水難事故への懸念が寄せられ、学校はあれこれと水質の安全性や、授業の監視体制を父兄に説明するが、納得してもらえない。
最終的に父兄を納得させるには、プールの水を全部抜いて授業するしかなかった。


この時期、メディアの責任は重大だ。
放射能の危険性など問題点の指摘や重要な課題の提起も必要だ。
ただし、その一方で、第2の「らい病差別」を生むことに自身が加担していないか自戒してほしい。

報道の基本は、いつの時代も十分な取材と正確な分析である。

私達も冷静な自分でいることの重要性を再確認したいものだ。
posted by 8ちゃん at 11:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

投資顧問業者

投資顧問業者であるAIJ投資顧問が顧客から2000億円に達する巨額の資金を預ったものの、運用に失敗して1830億円の損失を出した。
運用を委託した金の中には年金基金の金も含まれていたので、年金支給額への影響は勿論、場合によっては母体企業の業績にも影響する事態となっている。

AIJのボスは、野村證券の元営業マンの浅川和彦らしいが、野村時代の客を引っ張って「絶対安心です。」とか「お宅の会社だけに、とっておきの情報です。」とか言って手をモミモミしながら、アホな年金担当者から資金を預っていたに違いないのだ。
運用に一役買っていたアイティーエム証券の代表も経営破綻した山一證券の元営業マンらしいので、どちらも「昔の名前で」客を信じ込ませたのだ。

運用を託して巨額の資金を提供した年金基金の担当者もアホだ。
この時代にそんな高利回りのウマイ話があるもんか。

各企業の年金基金の事務長などには厚生労働省の下級役人が天下る。
ポストは後輩の下級役人に引き継がれていくのだが、この連中は、厚生労働省から天下りを押し付けられたときに、基金関係の許認可を地方労働局などに申請するときに、何等かの役に立つだろうと思って雇うのだが、実際には全く役には立たないアホである。

胡散臭い会社の高利回りの誘いにホイホイと乗っていった年金基金の天下り担当者や理事などに対しては、加入者から損害賠償請求をすればよい。

元々、投資顧問業は金融商品取引法が2006年に改正されるまでは、投資顧問業規制法による許認可事項であったが、これが登録のみとなった。
第3次小泉内閣の時に、竹中平蔵のアホが規制緩和を画策したのだ。

これにより、誰でも一定の条件(3年以内の犯罪歴等)を満たせば、書類を提出するだけで、明日から投資顧問業を始められるのだ。
さらに、現在の投資顧問業は、一定期間の実績を積めば、証券取引法時代に一流証券会社にも絶対認めなかった一任勘定を堂々と行えるのだ。
いわば、現金を丸投げして、「よきに計らえ」と言っておけばよいのだ。

ここにも訳のわからん「小泉改苦」や「規制緩和」があったのだ。

投資顧問会社は証券取引等監視委員会が検査することになっているが、全国で投資助言代理業者が1114社、投資運用業者が324社(いずれも24年1月末;重複を除けば263社。)であり、投資一任契約も51,879件、123兆円(うち年金:5,404件、74兆円)に達している。
実態では、監視委員会は、証券会社などの検査に忙しくて、投資顧問業者への検査など、片手間仕事なのである(通常年間15社程度を検査する。)。
現にAIJは1989年の設立(2004年に浅川和彦が買収)ということになっているが、過去に1回も検査を受けたことなど無かったのだ。
勿論、被害者は、国の監督責任を追及して、国賠法1条の公務員の不作為をネタに損害賠償請求訴訟も頑張っていただきたい。

「うまい話には気をつけろ。」
過去、何十年も言われ続けた言葉であるが、AIJに投資した年金担当者も後輩を集めた飲み会では、エラそうにそんな説教をしていたのだろうか。
posted by 8ちゃん at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月24日

教育論 (その2)

ここまで、現在の学校教育の問題点を述べてきた。
それでは、これからの教育をどうしていくべきなのか。
といっても、教育研究家でもない私から大した提案が出来るはずもないが…。
まあ、民主党や自民党の教育部会の連中よりは、いくらかましだろう。

教育で最近注目を集めているのは、北欧やオランダだ。
彼らの取組みの中にヒントがあるのかもしれない。
そんな国々の情報を元に、課題を項目ごとに組み立てると、次のとおりとなる。

1.個性や感受性の豊な人間創りについて
思い切って、個性のある学校を作って、各校に個性を競わせてみてはどうか。
そして、子供達は、自分の気に入った個性の学校を選択して入学すれば良いのだ。
100人から200人までの(それ以下でも良い。)小規模の学校を、教育意欲のある人間に多数作らせて競わせるのだ。
学校のPRに体験入学などもいいだろう。
芸術に特化する学校なんかも出来ると楽しい。
不足する絵の具を買うための計算は算数の実践学習になるし、遠近法による描写は生きた科学だ。
勿論、基礎的な学習は行うが、カリキュラムは学校に任せるのだ。

2.教科書について
教科書も検定教科書だけではなく、個々の子供に合わせた教科書を使用してはどうか。
何なら、子供達に教科書を選ばせてもいいのだ。
教師は書店や図書館、新聞、博物館や美術館といった教科書探しのツールを教えてあげればいい。

3.社会適合への教育について
学習や研究をグループで行う機会を増やしてはどうか。
それも、現状のクラス内でのグループ分けではなく、学年を超えたグループ化が必要だ。
1年生と5年生が一緒に行動することで、社会の中での自分の位置を発見できる。
第一、 実社会では全く同年齢の人間が集団でいるのは、同窓会ぐらいのものだろう。
一人っ子など、少子化社会が進む中で、高学年の児童は低学年に児童に「弟や妹」を擬制するだろうし、低学年の児童に「兄や姉」を実感させることも出来そうだ。

北欧やオランダでは、これらを実践している。
勿論、費用は国が出す。
これらの国々は税負担率がかなり高いが、支出内容も国民から見え易い福祉や教育に充てているので、国民の不満は少ない。
日本とは大違いなのである。

そんな教育を行う中で、今の勉強をもう1年続けたいと思うものがあれば、続ければよい。
橋下市長の唱える「九九が出来るまで留年」とは違って、これは積極的な留年である。
こんな留年なら、本人の精神的苦痛など無いし、平均寿命が80年を超える人生においてこの1年や2年は大きな時間ではなく、かえってその1年間は本人にとっては貴重だ。

課題や問題点もある。
学校の細分化や特化は子供毎の適性判断が基本になるが、それをどうやって、どのタイミングで行うか。
また、肝心の教師のレベルアップや育成をどのように行っていくのか。
まだまだ問題点もあるだろう。
しかしながら、手をこまねいていては何も進まない。

日本が世界に誇れる学者達の話の中で、自己の形成と現在の研究テーマの選択理由について聞かれると、「すばらしい先生と出会えたこと。」を答える者が多い。
昔は、数学であっても物理であっても「実は面白いんだ。」ということを少年少女の時代に気付かせてくれる先生がいたのだ。

これこそ教育なのだろう。
学校って、楽しいものなんだ。

橋下市長もメディアも「小学生の留年」というインパクトのある言葉だけで議論、論評するのではなく、日本の教育のあり方について、論じてほしいものだ。
posted by 8ちゃん at 16:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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