あなたのひと押しで第1位へ
コメントが、書き込みにくい場合は、下のFC2版からお願いします。

2012年06月21日

アウンサンスーチー

2012年6月16日
ノルウェーのオセロの公庁舎の演台にある女性が立った。

アウンサンスーチー

彼女が1991年に受賞したノーベル平和賞の21年ぶりの授与式典だった。
彼女は、ノーベル平和賞を受賞したものの、自宅軟禁のため授賞式には出席できずにこの日まで日が過ぎて行ったのだ。
因みに、賞金の130万ドルはミャンマー国民の健康と教育のための基金の設立に使われている。

ミャンマーは、タイやカンボジアなどのあるインドシナ半島の西側、中国、インドといった大国に囲まれた国だ。
日本では、旧国名のビルマと言ったほうが、馴染みがあるのかもしれないが、ここではミャンマーと言おう。
人口は約5000万人の約9割が熱心な仏教徒のこの国は、緑と遺跡に囲われた美しい国だが、19世紀から続いたイギリスからの独立後、今もなお、軍事政権が国を支配している。

アウンサンスーチーは、このイギリスからの独立運動を指導した国民的英雄、アウンサン将軍の長女として生まれた。
何不自由ない家庭に生まれたアウンサンスーチーだったが、国家独立の1年前の1947年に父親のアウンサン将軍が政敵により暗殺されるという悲劇が起こる。
このとき、父は34歳、アウンサンスーチーは、僅か4歳だった。

母親がインド外交大使に任命されたことで、アウンサンスーチーは、19歳までをインドで過ごした。
その後、オックスフォードに学び、卒業後の1972年には、大学時代の後輩、マイケル・アリスと結婚する。
結婚後はブ−タン、ネパ−ルにも滞在し、73年に長男アレクサンダ−、77年には次男キムが誕生。その後1985年からは京都大学でも1年間の研究員生活をしている。
一方、ミャンマーでは、独立後も、国内の共産党勢力の武装蜂起や、ミャンマー国内の少数民族の一つ、カレン族の独立運動などが続き、遂に、1962年には、国軍のトップであるネ・ウィン将軍がクーデターを起こして軍事政権が誕生する。
かつては、アウンサン将軍の同僚であったネ・ウィン将軍は、それまでの憲法と議会を廃止し、ミャンマー社会主義計画党という親軍政党を結成して、この党による一党独裁体制を実行していくのだ。

愛する夫と二人の子供に囲まれて幸せに暮らすアウンサンスーチーに人生の転機が訪れたのは1988年。
この年の3月に母の看病のため、ミャンマーへ帰国したアウンサンスーチーを待っていたのは、民主化運動の燃え盛る炎と、英雄アウンサン将軍の娘に対する国民の祈りのような期待だった。
1988年7月20日付けのミャンマー国営新聞は、前日におこなわれた政府主催のアウンサン将軍追悼式に参加したアウンサンスーチーの写真を大きく掲載した。
この報道で、「建国の父」の娘として伝説的ですらあった彼女がビルマに戻っていることを知った民衆は、民主化運動への合流をアウンサンスーチーに懇願した。
その結果、8月26日に50万人の民衆を前にアウンサンスーチーは、初めて政治的な演説を行うことになったのだ。
こうして、政治の世界に足を踏み入れたアウンサンスーチーは、9月27日に、「国民民主連盟」を結成し、2年後の90年5月に実施された総選挙で「国民民主連盟」は80%を越える議席を獲得した。
しかし、ネ・ウィン軍事政権はこの結果を無視するだけでなく、アウンサンスーチーを危険分子として国家防御法違反の冤罪により、自宅軟禁していくのだ。
この軟禁はその後、21年間続くことになる。

この間、夫のマイケルは、癌に侵されるが、マイケルのミャンマーへの入国は軍事政権が許可しない。
アウンサンスーチーには、出国を認めるが、帰国は許可しない。
出国すれば、病の夫や最愛の息子に逢えるのだが、民主化運動のミャンマーへは戻れない。
そして、アウンサンスーチーは、ミャンマーに残る道を選んだ。

夫のマイケルは1999年に他界するが、それまで二人は愛し合いながらも逢えることはなかった。

アウンサンスーチーの画像を見てほしい。いつも彼女の髪に花が飾られているのをご存知だろうか。
この花は、貧しかった学生時代、二人がお互いの誕生日に花を一輪だけ、プレゼントし合ったそのときの花である。
彼女は、どこへ出かけるときにも何をするときにもこの花を忘れない。
そして、マイケルの命日だけは、彼女の髪の花は白い薔薇になる。
彼女とマイケルはいつも、花で繋がっていたのだ。

授賞後の講演でアウンサンスーチーは語る。
「軟禁中、自分はもはや現実世界の一部ではないとの思いにしばしば陥った。家が世界だった私。共同体ごと閉じ込められた他の人々。そして自由な世界。それぞれが、無関心の宇宙で別々の軌道を進む惑星だった。」

そして、そんな彼女をいつも勇気付けたのは、世界人権宣言の前文にあるお気に入りの一節だった。
「人権を軽視すれば、人間の良心を踏みにじる野蛮な行動をもたらす。こうした恐怖がなく、言論や信条の自由を享受できる世界こそ、人類の最高の望みなのだ。抑圧に対して最後の手段として反抗せずにすむよう、人権は法の支配の下で守られることが必要だ。」

彼女は続ける。
「私が民主主義の闘いを始めた時、何かの受賞をするなどとはまったく考えなかった。歴史は我々に、自分たちが信じる大義に向かって最善を尽くす機会を与えてくれた。ノーベル賞委員会やノルウェー国民、全世界の人々の支援は、平和を追求する私の信念をさらに強めてくれた。」

最後に、彼女は言った。
「ミャンマーにはまだ良心の囚人が大勢いることを覚えていてください。」
posted by 8ちゃん at 17:04| Comment(20) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事のランキングはこうなっています。⇒ひらめき
ご訪問、ありがとうございました。またのお越しをお待ち申しあげております。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。