あなたのひと押しで第1位へ
コメントが、書き込みにくい場合は、下のFC2版からお願いします。

2012年07月18日

そこに原発を建設した理由 (その1)

定期検査で停止中の北陸電力志賀(しか)原発(石川県)の原子炉建屋直下の断層が活断層の可能性が高いことが、経済産業省原子力安全・保安院の調査でわかったらしい。
原子力発電所は、経済産業省の示す基準では活断層の上には設置できないので、これが本当なら志賀原発は運転できなくなるどころか、極めて危険な状態にあるのだ。

原子炉建屋直下の活断層については、福井県の日本原子力発電敦賀原発や先ごろ再稼動し始めた大飯原発もかなり前からこの指摘がある。
今回指摘された断層は志賀原発1号機の原子炉建屋の直下に走る長さ約300メートルの断層で、北陸電力は1987年に提出した1号機の設置許可申請で「浸食作用で生じたものだ。」として活断層ではないと説明していた。

北陸電力が保有する唯一の原子力発電所である志賀原発は、能登半島中部の西側、志賀町の赤住(あかすみ)地区に位置している。
北陸電力は、1965年に原子力発電所の用地選定を進め、その中で、能登半島の志賀町の赤住地区と門前町の福浦(ふくら)地区を選定した。
赤住地区は当初から発電所建設を積極的に受け入れる方針であったため、1967年に調査用地の買収が行われた。このとき、福浦地区は建設に反対し、北陸電力は福浦地区での建設を断念している。

1984年になると、地質調査が行われてから僅か3年9ヶ月という短い期間で、通産省(当時)は原子炉設置の許可を出している。
問題は、このときの地質調査の結果は現在の原子力安全保安院の前身である原子力安全委員会にも提出され、どのような審査があったかは闇の中であるにせよ、安全委員会も「地質には問題はない。」という審査結果を出していることだ。
それが、今いまになって、同じ機関が「地質に問題がある。」として北陸電力を攻め立てているのだ。

アホか。

志賀町に原子炉の設置を認めた当時、お前たちは一体何を見ていたのか。電力業界の意のままに申請をホイホイと許可していたのはお前たちだろうが。
今さら、どんな顔をして北陸電力だけが悪者のように言えるのか。

この志賀原発自体は、2006年3月24日に耐震性に問題があるとした住民らの訴えを受けた金沢地方裁判所が、北陸電力に対して志賀原発2号機の運転差し止めを命じらたのだが、北陸電力はこの判決に対して「運転を止める予定はない」と司法を蔑ろにする有名な発言をしている(その後、控訴審、上告審で逆転の住民敗訴判決)。

また、平成17 年4 月1 日の石川県を襲った集中豪雨では、志賀原発から僅かに南側の羽咋市福水町地内において大規模な地すべりが発生。原発からの高圧送電線の鉄塔が倒壊しているのだ。
つまり、この志賀原発が建設されている場所はどう考えても危険極まりない場所なのだ。

では、こんな危険な場所に何故原子力発電所を建設したのか。

以下、次回へ続く

posted by 8ちゃん at 20:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月17日

アリバイつくり

原子力発電の将来の姿を決めるというテーマで、全国の電力会社単位での「意見聴取会」というのが始まった。
正式には「今後のエネルギー・環境政策について国民から直接意見を聞く意見聴取会」という恐ろしく長い名前のものだそうだ。
さいたま市、仙台市、名古屋市と続き今後は全国で行われるらしい。
この聴取会とやらに電力会社の幹部や職員、そして原子力研究開発機構の職員が原子力発電の推進を支持する立場での発言を行ったとして、メディアや原発反対団体は大騒ぎである。

何か文句を言う方向が違うのじゃないか。

この聴取会は、政府が国の原子力に関する施策を決定するプロセスとして、国民の意見を聞くという大義名分で行っているものらしい。
したがって、電力会社や原子力研究開発機構などは、持論を発表する機会などいくらでもあるのだから、「国民の意見」という趣旨からはこの会には参加すべきでないのだろう。
中途半端な立場で参加するから、選考に不正があったとか、やらせだとか言われるのだ。
また、昨日の名古屋の聴取会で発言した中部電力の職員は「原発に対するいわれなき批判」だとか、「放射能で亡くなった人は1人もいない」などと、恐ろしいことを言ったものだから、事態は深刻になっているようだ。
中部電力も従業員は沢山いるのだろうから、よりによってこんなアホを派遣しなくとも良かろうにと、思うのだが…。

この意見聴取会の運営は、政府が大手広告代理店の博報堂に丸投げしているので、政府としては各聴取会に大臣クラスの国会議員を派遣するだけだ。
読売新聞が大きく関与している博報堂がコーデュネイトしたからといって、意見陳述者の選考に不正があった訳ではないようだ。
意見を述べる人間の選定基準は予め国が決めていて、西暦2030年における原子力発電の比率が、0%がよいと考える人の中ら3名、15%がよいと考える人から3名、20〜25%がよいと考える人から3名の合計9名を選出するのだが、この選考会に応募した人の数をみると、例えば仙台での意見聴取会だと、
0%⇒応募者66人
15%⇒応募者14人
20〜25%⇒応募者13人
となっているから、0%を主張して選ばれる確率は3/66=4.5%であるのに対して、15%なら、3/14=21.4%、20〜25%の場合は、3/13=23.1%となって、電力会社の幹部職員や原子力研究開発機構の人間は20〜25%が会社の見解なのだから、4人くらい応募すればほぼ当選するのだ。
もっとも、この15%とか20%〜25%という数字や、応募者数に比例させないで、各区分3名という選定人数を何を根拠に決めたのかなど、極めて不透明であることも間違いない。

しかし、そんなことは枝葉の議論だろう。最大の問題は、こんな政府のアリバイつくりみたいな意見聴取会を実施しただけで、「国民の声を聞きました。」ということを印象付けようとしている姑息な考え方だ。
たった9人に意見聴取することで、「東北地方1000万人のご意見を伺いました。」とでも言うつもりなのだろうか。
私の周りでこんな意見聴取会の応募要領を知っている人間なんかひとりもいない。
もし、このブログを読んでくれている人の中で、これに応募した人がいたら、是非、教えてほしいものだ。

政府は、こんな姑息なセレモニーに貴重な予算を使うのなら、国会で堂々と原子力の未来について議論して、政党や政治家としての主張をすべきである。
そして、その主張は選挙で国民の信任を問えばよいのだ。

おそらく、日本中には原発に反対の人もいれば、安全性を確保して原発を容認する人もいるだろう。もちろん、積極的に原発を推進したい人もいても良いのだ。
日本は、北朝鮮や中国のように、全国民が全く同じように泣いたり笑ったりする気持ちの悪い国ではないはずだ。

こんな茶番劇を、あ〜や、こ〜やと論評するメディアもアホである。
今、大切なのは日本における原子力のあり方について、国民に示すべき基本方針を決定することと、それに向けた例えば、各地の原発ごとに「これは2020年まで使って廃炉にする。」とか、「ここは活断層の真下だからすぐに廃炉」とかいった具体的なロードマップだ。
そして、最終的にそれを決定するのは国民であることを忘れてはならない。
posted by 8ちゃん at 16:13| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

工藤会 激震

7月8日白昼、筑紫野市で元工藤会極政組二代目江藤允政が3発の銃弾を至近距離から撃たれ死亡した事件は、抗争の終焉なのだろうか。それとも始まりなのだろうか。

北九州市を本拠とする広域暴力団工藤会は、工藤玄治率いる博徒集団工藤組として小倉を地盤に発展してきた。
その間、1963年に山口組の地道組や菅谷組が、山口組の全国進攻に伴い、北九州若松地区に進出したことを契機に抗争が勃発、市内の紫川で、工藤組若頭であった草野一家組長草野高明の配下が山口組組員3名を撲殺した。
この事件で草野は服役するが、草野一家の解散を巡って組長の工藤と若頭の草野が対立。
双方の若頭が射殺されるなど、身内の抗争は泥沼化していくのだ。

この抗争は、当時の稲川会、稲川聖城会長と合田一家の浜部一郎組長の仲裁で和解したものの、双方に深い遺恨が残った。
特に、田中組は当時の組長を草野一家の極政組の組員に射殺されたことから、極政組に対しては怨念にも近い恨みをもったのだ。

抗争から、24年後の1987年、太州会会長・太田州春の働きかけや山口組の勢力拡大による危機感もあって、工藤組工藤玄治と草野一家草野高明は改めて盃を交わし、総裁・工藤、総長・草野という新体制で和解した。
その後、3代目会長を継承した溝下秀男がその抜群の統率力で、工藤会を揺ぎ無い地位にしたものの、溝下は、2008年に肝臓移植の失敗から急逝する。
このころから、工藤会の最大勢力で、かつて草野一家に組長を射殺された恨みを持つ、田中組による旧草野一家への攻撃が始まるのだ。

今回、射殺された江藤允政は、旧草野一家の溝下秀男が率いる溝下グループから改称した組織である極政組の二代目組長である。
志賀勝を1000倍以上恐ろしくした顔に、眉毛の代わりにヘビの刺青がある江藤は、愚連隊として北九州中に名を馳せていたが、溝下に出逢い心酔。本人は「親と呼べるのは溝下だけ。」と公言するほどの惚れようであった。

溝下が工藤本家を総帥する立場となってからは、江藤は120人の極政組を率いて溝下を支える。
当時の工藤会の本部役員は、旧工藤組と旧草野一家のバランスを取ったものであったが、江藤は、執行部組織委員長を務めるなど、その中枢として活躍する。
このころの組織図を見ると、会長、若頭を除く執行部9名中、旧工藤組出身者が5名、旧草野一家出身者が4名であった。
因みに、現在の工藤会では相殺、会長、理事長が全て旧工藤組最大勢力の田中組出身者であり、執行部における重要ポストの旧草野一家出身者への配分は、たった1名である。

そして、2008年に溝下が急逝してから、旧草野一家系の有力者が次々と何者かにより、殺害されていくのだ。
篠崎一雄(篠崎組組長:射殺)、安高毅(津川組相談役:射殺)、徳本竜吾(徳竜組組長:射殺)と続く中、江藤が組長を務める極政組に衝撃が走る。

当時、2年間の服役をもう少しで終えようとする江藤允政は、極政組の二代目を突然引退、若頭だった今田雄二が三代目極政組長となったのだ。
長期服役ならともかく、代替わりを服役中に行うのは異例中の異例だし、通常は、当代が関係者に十分な根回しをしてから行われるのが通例だ。

そしてこの代替わりが発表される直前の8月に江藤と親しい篠塚が射殺されている。
しかも、一連の事件中、極政組の主要幹部12名は、組を脱退しようとした組員を集団で暴行したとして、逮捕監禁致傷容疑で全員逮捕されているのだ。

つまり、幹部が社会不在、まして当代が服役中に代替わりが行われたのだ。
田中組が江藤の追放を企てたと勘繰られても仕方がないだろう。
因みに、引退させられた江藤に対する工藤会の対応は、「破門」である。
実質的な田中組である工藤会は、江藤に無理やり引退させておいて破門にしたのだ。

そして、今回の江藤射殺事件。
マンションは、オートロックだし、江藤が外出する時間も正確に把握していたと思われる。
至近距離からの射殺は、脅しではなく確実な殺意をもったものだ。

江藤の射殺により、工藤会内における旧草野一家、特に極政組と田中組の反目は、報復などの抗争に発展するのだろうか。
それとも、この江藤の射殺により、全ての組織内が田中組にひれ伏して、内部抗争の終焉を迎えるのだろうか。

いずれにしても、住宅地での拳銃使用というこの危険な犯罪を福岡県警は威信をかけて捜査し、犯人を逮捕しなければならない。
posted by 8ちゃん at 16:28| Comment(33) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事のランキングはこうなっています。⇒ひらめき
ご訪問、ありがとうございました。またのお越しをお待ち申しあげております。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。