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2012年08月21日

大阪ミステリーゾーン(その2)

「阿倍野界隈編」

最初に断っておくが、大阪市阿倍野区は平和な街である。
萩之茶屋や新今宮の話の流れで、他府県の方は、間違った印象を持ってはいけない。
特に、北畠、帝塚山といった地区は、大阪市でも屈指の高級住宅街として名高い。
因みに、私の尊敬するK先輩は確か阿倍野区のご出身である。
日本最大のゴルフ場グループの専務取締役という要職であられたK先輩の手前、エエ加減なことを書くと、後でどのような厳しいご指摘を受けるかもしれないので、緊張するのである。

有名な辻調理師学校本校のある阿倍野だが、最近では、近鉄阿部野橋駅周辺に、フープやキューズタウンといった大型商業施設も出来て、若者とファッションの街になっているのだ。
まあ、中には、キューズモールのフードコートで、酒を飲む豪の者もいるのだが…。
ただし、近鉄阿倍野橋周辺がこのように健全な街になったのは最近のことで、ちょっと前までは、「阿倍野銀座」周辺から隣接する西成区までは、浮浪者が溢れていたし、今日の主役である遊郭の飛田新地へ行くには、地下鉄なら動物園前、鉄道ならJR天王寺や近鉄阿部野橋駅が一番近いのだ。

昔、大阪の市街地の南限は、難波の千日前であった。
千日前には、斎場と墓地があり、そこから南方は農地か荒地だったのだ。
大阪市の市街化が進み、千日前の斎場や墓地は、阿倍野へと押しやられる。
豪族であった阿倍氏の名を地名に残した阿倍野は、陰陽師で有名な安倍晴明が生まれた地との伝承があり、今も、晴明通という地名が残されている。
因みに、千日前にある現在のビッグカメラの場所にあった千日デパートが、火災により、多くの犠牲者を出したのは、千日デパートの敷地が、斎場や墓地であったためとの説があるのだ。

阿倍野区の西端、大阪市立大学付属病院の付近が西成区との区界である。
ここから西は、西成区の山王町、太子町となっていて、暴力団本部事務所が8ヶ所もある武装地帯だ。
大阪には、昔から多くの暴力団が存在したが、現在では殆どが山口組の傘下となっている中、この大阪市西成区山王1−11−8には、東組という構成員、準構成員合わせて300人の暴力団の本部があり、山口組に従わずに独立独歩で活動をしている。
武闘派として知られる東組は、山口組や当時の酒梅組との数々の抗争を生き抜き、現在も独立組織としてその存在感を示しているのだ。
各暴力団事務所が、暴対法の規制の中、○○組といった看板を外しているが、ここだけは今でも「東組」とか「滝本組」といった看板を掲げていることからも、この組織の強靭さが窺える。

この太子の東側が飛田新地のある山王町なのである。

山王町の南側、山王町3丁目付近には、「料亭」と称する、間口2間(約3.6m)程度の2階建の家屋がびっしりと並んでおり、その数約150店舗である。
「料亭」といっても料理を食べに来る客などいない。
ここでは、公然と売春が行われているのだ。

この地域、飛田新地は、今でこそ道路に面している箇所が何箇所かあるが、昭和40年代までは出口が1ヶ所の袋小路であったようだ。
遊郭という特殊性から、遊女の逃亡を防ぐ目的で袋小路にしてあったのだ。
道路の両側に連なって並ぶ店の中には、きれいな着物や洋服を着たお姉さんと、その横にはやり手ババアのような、おばちゃんが座っている。
照明のせいだろうか、お姉さんはみんなベッピンさんに見えるのだ。

↓こんな感じ(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=KKQOamvpyYQ

やり手ばあさんが、「寄ってってやー」とか「ええ子おるでー」とか懸命に通行人を店に入れようと誘いをかけている。
私のような、頑健な意思を持った理性ある人間でないと、ふと、店に引き込まれてしまうのではないだろうか。
この綺麗なおねえちゃんたちは、昔は借金の返済のために、ここへ売られてきたような者が多かったようだが、今ではビジネスとして勤めている者も多いようである。
念のため、この情報は、知人からの伝聞であることを申し添える。
このような、「遊郭」と呼ぶのに相応しい、古典的なスタイルの売春方式は、この飛田新地の他には、同じ大阪市の西区の九条にある松島新地以外にはないのだ。
ある意味、貴重な文化遺産といえるのだろう。

このように、大っぴらに売春行為が行われているのに、警察は摘発しないのだろうか。
パチンコ屋の懸賞買いと同じで、暗黙の了解が得られているとの説もあるが、あからさまなこのような現状を見ると、不思議に思ってしまうのだ。

もっとも、摘発が全くないのではなく、この業界のボスに逆らったケースなど、その店だけが警察の摘発を受けるといった話も聞いたので、警察との癒着もあるのだろう。

この誘惑光線が飛び乱れる中を南へ進むと、そこには「鯛よし百番」という本当の料亭がある。
私の目的はこの「百番」なのである。

百番は、1912年に遊郭として建設されたものが、現在は純粋な料亭として大阪市民の絶大なる支持を得ているのだ。
何と言っても、その建物のレトロ感や、内装の豪華さは他に類を見ない素晴らしさである。

http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/lrg/10/27/48/lrg_10274887.jpg
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/uxoru/20061122/20061122221546.jpg

鍋料理が中心で、料金は5000円くらいなのだが、競争が激しくて予約が取れない。
私も、過去には何回か行っているが、こちらの日程よりも、「予約が取れた日」が優先されるのだ。

百番でほろ酔い気分になった後は、またしても誘惑に打ち勝ちながら、例の「お兄ちゃん、寄ってらっしゃい」コースを駅まで歩くことになる。
何度も言うが、私のような強靭な理性ある意思を持った人間以外は注意が必要なのだ。


次回「大阪ミステリーゾーン(その3)」に続く
posted by 8ちゃん at 17:34| Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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