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2012年09月20日

危険な火遊び

イスラム教の預言者ムハンマドを冒涜する内容で物議を醸している「イノセンス・オブ・ムスリムズ」(Innocence of Muslims)という映画がある。
「無邪気なイスラム教徒」といった訳になるのだろうか。

元々は、「砂漠の戦士たち」という原題だったようだが、制作したナクーラ・バシーリー・ナクーラというエジプト出身のおっさんが、イスラム教徒の逆鱗に触れるような内容に変えたため、世界中でイスラム教徒が過激な抗議活動を行い、チュニジアの首都チュニスでは、米大使館前に集まった群衆が米国旗を燃やした。
エジプト・カイロの米大使館前のデモは、夜通し行われ、モロッコやスーダン、パレスチナ自治区のガザでも大規模なデモがあった。

そして、遂に、リビア東部ベンガジでは、アメリカ領事館が襲撃され、領事館内にいたクリストファー・スティーブンス駐リビア大使と職員3人が殺されるといった事態に至っているのだ。
世界では、中国人による日本企業などへの破壊、放火、略奪といったニュースより、このイスラム教徒の過激な活動の方が、伝えられる回数や時間が多いのである。

もっとも、一連のイスラム教徒による過激な行動のうち、リビア大使殺害事件については、米政府は「襲撃は、大使を狙った計画された軍事攻撃である。」との見解をもっている。
襲撃が統制、連携されており、訓練されたものである可能性が高いことと、大使や領事館の職員37名が、襲撃を察知して、秘密の避難場所に逃げ込んだ瞬間、砲撃が正確に秘密の避難場所だけを狙って行われたというのがその理由だ。
襲撃が行われたのが、ちょうど米国同時多発テロがあった9月11日であることも偶然とは言い切れないだろう。

事態を重視したアメリカ公安当局は、映画を作製したナクーラ・バシーリー・ナクーラの取調べを始めたようであるが、アメリカでは、表現の自由は最も尊重されるため、何の罪状で取調べをしているのか不明である。
ただし、ナクーラの家族は、早い段階でカリフォルニアの自宅からどこかへ身を隠したそうであるから、ナク―ラ自身は、自分の作った映画がどのような結果を招くのかということを知っていたのだろう。
テロや襲撃を行った側が悪いのには決まっているが、実際に、死者が出ていることを考えると、このナクーラというおっさんは、極めて無責任であるといわざるを得ないのだ。

一方、この映画に出演した女優のアンナ・グルジは、自身はあくまでもナクーラの計画には関与していなかったと主張している。
彼女は、身の危険を感じながらも、「真実を語るほかに、何をしたらいいのかわからない。自分にはやましいことはなに一つないので身を隠すつもりはない。私が真相を明らかにしなければ、生きる価値のある世界などない。」と雲隠れは考えていないそうだ。

しかし、ネット上でこの映画は簡単に見ることが出来るのだが、一体どのあたりがイスラム教への冒涜なのか、私には難しすぎてよく分からない。
http://www.youtube.com/watch?v=MAiOEV0v2RM
イスラム教についての、お勉強を少ししておく必要がありそうだ。

今回、イスラム教徒がバカにされたと憤る人物であるムハンマドは、ノア、アブラハム、モーセ、イエスと並ぶ神の預言者である。
現在、世界の総人口70億人のうち、キリスト教徒が22億人、イスラム教徒は14億人である。
その後、ヒンズー教が9億人といってもこれはインドに集中しているし、仏教に至っては、我々日本人にはなじみが深いものの、教徒は約4億人しかいないのだ。
その世界第2位の教徒を持つイスラム教の教えは、ムハンマドの予言がすべてである。

キリスト教もイスラム教もユダヤ教から分離していったもので、崇拝すべき「神」は同じであるが、伝えた者が違うのだ。
イスラム教はムハンマドであり、キリスト教ではイエスであるが、ムハマドが預言者であるのに対し、イエスは、救世主(メシア)と呼ばれている。
もう、こうなってくると、何がなんやら分からなくなってきたが、預言者というのは、神のお告げを聞いて伝えることができる人なのだそうだ。
ノア、アブラハム、モーセ、イエス、そしてムハンマドの5人の預言者らのうち、ムハンマドは登場した順番では、一番最後であることから「最後の預言者」と呼ばれている。
ムハンマド以降の預言者は現れなかったので、ムハンマドが聞いた神のお告げをまとめた「コーラン」が絶対不変なものとなるらしいのだ。

「コーラン」は、イスラム教徒がなすべき行動や考え方だけでなく、生活や食べものに至るまで、すべてを規定した書物である。
そして、イスラム教においては、偶像というものがなく、「神」や「ムハンマド」を描いた絵や彫刻の類は一切存在しない。

その姿を決して見せることがないムハンマドが映画に出演したのである。
これは、イスラム教徒にとっては、吉田沙保里が、警備中に気弱な泥棒にフォール負けしたくらいのショックなのだ。
さらに、ムハンマドがキリスト教信者に暴力を振るったり、卑猥な行動をしたりしたものだから、イスラム教徒の怒りが爆発したのだろう。
さらには、その映画を製作した国がアメリカで、ただでさえいつも、天敵のイスラエルの肩を持つアメリカをこの際、叩き潰せということになったのだろう。

とはいえ、如何なる理由があっても、人殺しを含むテロ行為は、許されるものではない。
一方で、表現の自由は尊重されても、自分が責任を取れない重大な危機が、十分予測されるのに映画を作った製作者に罪が全くないわけでもないだろう。

本人は、火遊びのつもりでも、大火事になることもあるのだ。
この映画は、決してInnocenceではないようである。

posted by 8ちゃん at 16:25| Comment(11) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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