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2012年10月25日

焼きそば (1)

今日は、国民的料理である焼きそばについて語りたい。

焼きそばは、ある種、麺料理の代表であり、粉もん文化の一翼を担う料理である。
それでいて、お好み焼きやたこ焼きが日本維新の会と同じく、人気が特定地域に限定されるのと違い、焼きそばの場合は、全国津々浦々の街で愛されているなど、観月ありさや井川遥並みの国民的支持があるのだ。
誰もが、子供の頃、学校給食で、焼きそばがオカズの日は、狂喜乱舞したのではないだろうか。
このため、B級グルメの王座決定戦であるB―1グランプリにおいても、過去7回開催された中で、「焼きそば」という名のものが、7回中4回もグランプリに輝いているのである。

当然、全国の読者の皆さんは、それぞれの地域における「ご当地焼きそば」や、家に代々受け継がれる「我が家の焼きそば」とでも言うべき自慢の焼きそばがあるのだろう。
そのように、思い入れが強い料理をここで取り上げても、読者には何の感動も与えられず、「ふんっ!それがどうした。」などと、言われるのがオチなのだが、幸いにも私は逆境に強い精神力を誇っているので、まるで気にならないのだ。

まず、焼きそばは、ソース系と中華系に分類される。
塩焼きそばという、最近の流行ものもあるらしいが、腎蔵障害者や高血圧症を抱えるひとには、そのような、ナトリウムが充満したような名前も聞きたくないだろうから、人道的見地もあって、今回は、消えてもらおう。
また、皿ウドンとかの微妙な立場のものもあるのだが、これは思い切って中華系に入れておいても、長崎県知事から「何でやねん!」といったツッコミが来ることもないと考える。

さらに、ソース系は、通常のものと、インスタント系に分類される。
日清焼きそばとか、明星鉄板焼きそばなどのインスタント系は、独立した独自の文化をもっているのだ。
ただし、インスタント系の中でも、カップ系の日清UFOや明星一平ちゃんなどは、お湯だけで出来てしまうといった、野田内閣の組閣並の安易さが感じられるため、気の毒だが、ここでは遠慮していただきたい。

そして、私がこれぞ本家本流、踊りの花柳壽輔、お茶の千宗室、歌舞伎なら市川団十郎、痔の薬といえばヒサヤ大黒堂(?)クラスの位置付けをするのは、ソース焼きそばである。

中華系の焼きそばは、私の中では「そばが入った野菜炒め」という評価である。
その基本的な味付けは、八宝菜やレバニラなんかと何も変わらないのだ。
具材には、多くの野菜とキクラゲや海老、イカなどの海鮮類、店によっては、サヤエンドウやタケノコも入っている。
仮に、そばがビーフンに変わっても、調理の結果に大幅な差異が発生しないこの料理は、まさに、そばの存在自体が、鳩山由紀夫のように軽視されていることに疑いはない。
バラエティー番組ならば、そばは、ひな壇上部の席に追いやられ、タレントで言うと東京制作番組におけるノンスタイルか千鳥といった扱いなのだ。



次回、焼きそば論は、明星鉄板焼きそばの凋落と日清焼きそばの台頭、そして、本格的はソース焼きそばの作り方の秘訣に迫る。

posted by 8ちゃん at 17:07| Comment(18) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

オムライス

オムライスが好きである。

チキンライスを薄く焼いた卵焼きで包んだ、あのオムライスである。
今流行の、柔らかい、ぐちゅぐちゅのオムレツのようなものをライスの上に載せて、割り開いて食べるようなものも、生意気にオムライスを名乗っているようだが、そんなものは所詮「バッタもん」である。
そんなバッタもんが、「私も間違いなくオムライスですから」と認知を求めてきたとしても、血液鑑定をするまでもなく、裁判所は訴えを棄却するに決まっているのだ。
場合によっては、オムライスの名誉を毀損したとして、損害賠償請求を提起しても良いし、検察に名称詐称罪や詐欺罪で逆に訴えても良いのだ。

オムライスは、古びた洋食屋とか、店頭の陳列サンプルにホコリが被っているような街の食堂で食べるのが一番良いのだが、これを自分で作ることになると、この薄く焼いた卵焼きで、チキンライスを包む技術がなかなか難しい。
誰もが、これに挑戦しては失敗し、最終的には「フライパンが悪い。新作のT‐falがあれば、こんなことはない。」などと言って、日本の警察のようにフライパンに冤罪を被せてしまうことになるのだ。

皿を上から被せて、ひっくり返すといった荒業もあるようだが、最終的に形になっていれば良いと言ったこの発想こそ、かつて、技能オリンピックにおけるメダルを独占していた技術大国日本が、現在は、韓国や中国に追い抜かれている要因になっていることに早く気付いて欲しいものである。

中には、オムライスの作成途中の段階から「これは無理だ」と悟って、無残にも、ぐちゃぐちゃになった卵焼きとチキンライスを混ぜ込むという暴挙に出た挙句、完全に未知のメニューに変身させたのにも拘らず、それでも「オムライスよ。」と言い張る美熟女も居るようである。
しかし、そのことに関して、文句のひとつも言おうものなら、か弱い私など、全身骨折とか頭蓋骨陥没により、当分の間、このブログを休まざるを得ないのは十分承知しているので、ここは、黙秘権を行使したい。

さて、オムライスの卵焼きで包まれた中身は、チキンライスでなければならない。
鶏、タマネギをケッチャップ味で炒めるのが原則であるが、グリーンピースを入れるのを忘れてはいけない。
包まれた卵焼きをスプーンで破ったとき、この数粒の緑色のアクセントがオレンジ色の中で輝いてこそ、感動が生まれるというものだ。
グリーンピースが嫌いだという人も多いのだが、そんなひとは、エンドウ豆でつくられているサッポロドラフトワンは飲んではいけないし、「遠藤」という姓の相手とは結婚できないという不幸が待っているのだ。

オムライスの中身については、最近の傾向として、デミグラスソースやクリームソース、チーズがやたら入ったものなど、具材の種類も多岐にわたっているようである。
しかしながら、この風潮は、ケチャップ固有の権利を侵害する、侵略行為であり、韓国や中国の暴挙に近いものがある。
あまり度が過ぎると、国際司法裁判所に提訴することも視野に入れる必要があるだろう。

このように、何もかも素晴らしいオムライスではあるが、難点もあるのだ。
これを食べ始めると、最初のうちは、卵焼きに包まれたその形がしっかりしているから、スプーンでサクサクと削っては口に運べるのだが、これが終盤になると、残った部分をスプーンで掬うには高度な技術が要求される。

掬おうとした卵焼きの端っこや、僅かばかり残ったチキンライスが、スルスルスルッとスプーンから逃げて、上手く捕まらないのだ。
それが続くと、いかに温厚、冷静、気品漂うこの私でも、イラッとしてしまうのだ。
空いている方の手の指で、ライスを押さえるなどのヘルプしたいのだが、周りの客に「ふんっ、下品なやっちゃな」と思われたくないという心理も働く。
結局、最終的には、指の発動を得て残さず食べるのだが…。

こうして、オムライスを何とか最後まで食べ終わったアナタ。
この時点において、アナタの口の周りが、ケチャップでオレンジ色に染まっていることを忘れてはならない。
ナフキン(ナプキンではない)で、口の周りを拭ってから店を出ないと、道行く人が、オレンジ色の口の周りを見て、「ちょっと、あのひと、口の周りに口紅滲んでるで。真っ昼間から、きついことキスしたはったんやわ。そうかして、いやらし顔してはるわ。」などと揶揄されるに違いないのだ。


さて、この記事を見て、オムライスを食べたいと思ったアナタ。
そんなアナタが、ポチしてくれて、ブログランキングがUPするようなら、次回は、「焼きそば」を書いてみたい。
posted by 8ちゃん at 15:00| Comment(18) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

冤罪なんか簡単につくれるのさ

「楽しそう小学生を見て、困らせてやろうと思いました。」

これは、横浜市のホームページに小学校を襲撃する予告のメールを送ったとして、逮捕され、有罪判決(家裁審判)を受けた少年の供述調書である。

もちろん、彼は無実である。

そして、この犯行の動機まで、生々しく述べられた供述調書は、無実を主張する少年に対して、「認めなければ、罪が重くなる。」などと脅しつつ、神奈川県警の警察官が、文面を作成して、最後に被疑者に署名させたものなのだ。

神奈川県警は少年に謝罪したというが、少年や家族は、事件が大きく報道されたことで、地域社会から白い目で見られ、精神的に追い詰められた挙句、少年は通っていた大学を追われているのだ。

つまりは警察が冤罪者をつくろうと思えば、このように簡単に出来てしまうのである。
この事件は、起訴、裁判(審判)まで進んだのだから、検察官も同罪であり、捜査当局の証拠だけを見て判断した裁判官も冤罪つくりの共同正犯である。

この「遠隔操作メール」に関する捜査当局の誤認逮捕、犯人へのでっち上げは、5件、4名ということだが、日本中には、このような冤罪が毎日生まれているのだろう。

一般市民が、取調室という密室で、拘留期限いっぱいの20日間に亘って、暴力団組員のような凶暴な警察官に脅しを受け続ければ、精神的に疲弊して、身に覚えのないことも自白させられるのである。

そして、警察記者クラブに詰めている各社のアホ記者は、毎日配布される警察からの事件の情報に関する発表(ブリーフィングメモ)を何も疑わずに、そのまま記事にするのだ。
かつては、裏とりの取材をする記者もいたが、今のアホ記者どもは、全員が警察の発表を忠実に記事にする警察広報官所属のメッセンジャーボーイしかいないのである。

記者が、総アホ状態になっていることは、先日の「変なおじさん」によるiPS細胞の臨床実験のニュースをみても分かるだろう。

通常の記事は、記者の取材をもとに、編集者が記事を書くのだが、記事の内容に疑問があれば、記者を「裏とり」に走らせるのが常識だ。
場合によっては、デスク、部長(編集長)、編集委員や役員といった上層部から「裏とリ」指示もあるはずだ。

ところが、今回の読売などは、「世紀の大スクープ」として、朝刊第1面で、国民に「嘘のお話」を大々的に報道したのだ。
iPS細胞の人体移植の研究は、現段階では臨床段階まで達していないのは、少しでもこの問題を調べた人間にとっては常識だ。
もし、世界初の臨床手術例なら、移植部位や既存細胞との同化手法などについての具体的な質問をすべきであるが、取材したアホ記者は何の勉強もしていなかったから、質問すら出来なかった。
もちろん、この記者の上司も勉強不足で、「裏とリ」の指示すら出来なかったのだ。

なんと言っても、移植手術の舞台となったハーバード大学や、マサチューセッツ総合病院に問い合わせをすれば、この「変なおじさん」の発表内容の真偽など、すぐに分かる話なのに、そんな基本的な動作も出来ていない。

警察や検察による強引な自白強要という暴力と、その冤罪を実名報道した、アホなマスコミのペンの暴力により、今回の「遠隔操作メール」事件の冤罪者は、社会的に抹殺されたたいっても過言ではないだろう。
冤罪者となった彼らは、元の生活には戻れないのだ。

今回は、真犯人の犯行声明により、たまたま真実が明らかになったものの、これがなければ、彼らは一生冤罪を着せられていくのだ。
そして、恐ろしいのは、私たちの身近で、そして自分自身にも、あらゆる犯罪の冤罪が、何時降りかかってくるかわからないのだ。

毎回、犯人が犯行声明を行うことはない。
警察や検察に冤罪者に指名されたものが、救われる可能性は低いだろう。

警察や検察による暴力じみた自白の強要と、それを見抜けない裁判所、そして、警察や検察の一方的な応援団に成り下がった、アホなマスコミといった構図が、今日もまた、冤罪を作っているのだろうか。

取調べの完全可視化しかないのか。
posted by 8ちゃん at 17:22| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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