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2012年10月18日

蘇れ大阪 (3)

大阪市内の河川の面積は、20.5kuである。
これは大阪市全体の面積である約220kuの約10%に相当するのだ。
東京26区内の川の面積は5%だし、横浜市では3%だ。
広島市でも3%、名古屋市も5%だから、大阪の10%という数字は大都市としては、川の面積が極めて多いといえる。
思いつくままに、大きい川だけ数えても、大阪市内には、新淀川、大川、堂島川、土佐堀川、道頓堀川、 東横堀川、寝屋川、第二寝屋川、木津川、神崎川、城北川、平野川、平野川分水というように、大阪市内には多くの川があるのだ。

江戸時代には、大阪は「八百八橋」と言われていたものの、実際には約200程度の橋しかなかった。
現在では橋の数は約800である。
ただし、江戸時代の200の橋について調べてみると、徳川幕府が所謂「公共事業」として架けた橋は、このうち12橋梁しかない。
他の橋は、豪商淀屋が架けた淀屋橋のように、民間の力によって橋が架けられたのだ。

さすがに、現在の橋は港大橋や新千歳橋、夢舞大橋のように、大型公共事業により架けられたものが多いが、大阪人にとっての橋は、自分たちが架けた身近なものであったのだ。

その大阪の川は、他の大都市の川が山側から海に向って流れる「一方通行」なのに対して、変わった特徴がある。
大阪市内の北部を東西に流れる大川は、土佐堀、堂島川、木津川、道頓堀川から東横堀川へと繋がって、大阪市内の中心部を「水の回廊」のように、ぐるりと廻って繋がっているのである。

大阪といえば、市内の2大繁華街である「キタ」と「ミナミ」の関係から、物も人も南北に動くのが基本である。
これが、「賑わいの拡散」とも言うべき都市全体の発展を阻害している面もあったのだろう。
しかし、大阪は、南北にも東西にも水で繋がっているのだ。
他の大都市にはない、この「水の回廊」を利用しない手はないだろう。
私は、この「水の回廊」を浄化、整備して、大阪の観光の核とするのが大阪復興の第一歩であると考える。

勿論、今までにもこの大阪の「水」を市の活性化に利用すべきだと言う多くの意見があった。
現在も、建築家の安藤忠雄氏などは、大阪の水辺の整備に関する壮大な構想を発表している。
そのこともあって、実際に、道頓堀川や大川は水質の浄化や護岸に遊歩道を作るなど、徐々には川の整備に取り組んでおり、少しづつではあるが、綺麗な川が蘇りつつあるのも事実である。

しかし、それはごく最近のことであり、そのスピードも驚くほど遅い。
何故なら、今までの大阪市にとって、「水」に対する投資は、予算面での重要度や優先順位が極めて低いものであったからなのだ。

では、大阪市は、「水」に関する予算を出さずに、何に予算を使っていたのか。
一言で言えば、無駄使いをしていたのである。

巨額の税金が霧のように消えていった大阪市の無駄使いとは何だったのか。

以下、次回へ続く。
posted by 8ちゃん at 16:00| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月17日

蘇れ大阪 (2)

元々、大阪という地は海の底だったのだ。
現在の大阪市内の大半は大阪湾であり、僅かに上町台地と呼ばれる現在の中央区の一部が唯一の陸地だった。
時代とともに、淀川が運んでくる土砂が、河口に堆積して海を分断し、上町台地の東側に河内湖と呼ばれる巨大な湖ができた。
そして、5世紀以降は、大規模な治水事業により、次々と新たな陸地が生まれてきたのだ。

豊臣秀吉の時代になると、秀吉は大阪城の守りの強化と城下町の拡大、さらに治水の目的もあって、堀川という人工河川の開削を積極的に行った。
大阪市中心部にあった堀川は、今は暗渠となり、地上は阪神高速道路などになっているが、当時の堀川は巨大な運河であり、その堀川を掘った時に出た土は、川の両側に盛られて新たな土地ができた。
関西3大戎神社(他の2つは今宮戎、西宮戎)である堀川戎は、この元堀川の上にある。
盛土による新地の出現と、舟による物資の輸送が可能になったことで、堀川沿いには次々と新たな街が生み出されていった。

江戸時代になっても、新たな堀の開削は続き、江戸末期までには、大阪市内に15本の新しい堀が出来ていくのである。
江戸時代、大阪城の外堀は既に大阪夏の陣までには徳川家康の姦計と、淀君の秀吉への復讐のために埋められてなくなっていたが、大阪を直轄地(天領)とした徳川家は、掘の削には積極的で、大阪は、文字通り水都としての様相を示していくのであった。

全国の大名たちは、経済の中心であった米の取引が大阪で行われるため、堂島地区を中心に蔵屋敷を置いた。
蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれていたため、大阪市内には、運河と橋が増え続け、大阪は「八百八橋」と言われるほど橋と水路の多い都市となったのだ。
こうして、水の都として活況を呈した大阪は、日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、「天下の貨、七分は浪華にあり、浪華の貨、七分は舟中にあり。」とまで記されるようになった大阪は、経済都市として隆盛を極め、「天下の台所」とまで称されるのである。

因みに、堂島の米市場では世界で最初の先物取引が行われていたのだが、この堂島の先物取引は、差額決済という現在行われている先物取引決済と全く同じ手法が採られていたというから、驚きである。
偉そうに、先物の聖地などと言っているシカゴなどは、所詮、堂島の2番煎じなのである。

このように、物が集まれば、自然と人も集まる。
道頓堀には浄瑠璃や歌舞伎、からくり小屋が並び、元禄文化と呼ばれる華やかな芸術の中心地となっていく。
その道頓堀の周囲には2階から川面を見下ろせる多くの芝居茶屋が建ち並んだ。
当時、茶屋が並んでいた現在の宗右衛門町は、すっかり様相が変わって、韓国クラブや風俗の街に成り果てているのが悲しい。

一方、淀川を京都から下ってくる伏見船や三十石船は、大川の左岸、天満橋のたもとにあった八軒家浜で人と荷の上げ下ろしを行っていた。
八軒家浜とは、八軒の運送(飛脚)問屋が店を並べていたことにその名の由来があるが、この地名は今も天満橋駅(京阪、地下鉄)の西側に残っている。

さて、現在の大阪の川や堀はどうなっているのだろう。
そして、その水面をどのようにして、大阪の復権に繋げるのだろうか。

以下、次回に続く。


posted by 8ちゃん at 14:28| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

甦れ大阪

大阪の街は、東京に経済規模において、随分遅れをとっている。
戦前は東京を凌ぐ商都であった大阪ではあるが、主要な企業が本社を次々に東京へと移転し、有名企業で大阪に残っているものは、ごく小数になってしまっている。
ワコールや任天堂といった企業が、本社を移転させないでいる京都とは、大きな違いが出ているのだ。

さて、この大阪に過去の栄光の取り戻すには、どうしたらいいのだろうか。

第2次世界大戦が大阪を大きく変えた。
昭和1945年1月3日、阿倍野区の上空をアメリカ軍機10機が通過した。
そのうちの1機が焼夷弾を投下したのが大阪への空襲の始まりであった。
そして、3月13日には、アメリカ軍のB29爆撃機274機による空前の規模の空爆があり、この時だけで、1,733トンの焼夷弾が大阪中にばら撒かれたのだ。
その後、終戦の前日である8月14日まで、大阪への空襲は、28回にも及び、全市内の27%が焦土と化したのである。
死者1万388人、負傷者3万5543人を出した空襲により、商家が連なる風情ある大阪は壊滅してしまった。
大阪の人々は、立ち上がる気力も失せていたのである。

悲惨な戦争が終わっても、大阪はすぐに復興は出来なかった。
戦勝国であるアメリカを中心とした連合軍は、1945年10月20日から、大阪に米兵2万8000名を進駐させ、焼け残った主要施設を全部接収した。
西区の靭公園などは、アメリカ軍の飛行場になっていたのだ。
そして、大阪の行政は、連合軍の民事行政専門のスタッフが行い、GHQが統治したのであった。

この連合軍による統治は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約調印の後、翌年の1952年まで続き、大阪が本格的な復興に着手出来たのは、それからということになる。

ところで、日本の他の主要都市に比べて大阪は緑が極端に少ない。
明治神宮周辺などの広大な緑地を有する東京に比べても、大阪は北区や大阪城公園のある中央区の一部を除いて、緑といえば僅かな街路樹のみであり、南部や東部では、その街路樹すらない道路が多く、一言で言うと「ごちゃごちゃした街」なのである。

これは、復興に際し住居や道路、橋といった生活インフラの整備を優先したからである。
公園計画も大阪に112ヶ所、824万uの後援を作る計画はあったようなのだが、住む所がなく、道路が破壊されて通行できない現実の前には、その計画は実現されることはなかった。

さて、このように街が雑踏化し、主要企業も少なくなった大阪をどのように復権していけばよいのだろうか。

首都への企業の集中は、震災の影響から、会社機能の分散化を検討している企業が増えるなど、若干の変化は見られるものの、許認可権を有する官庁の本省が東京にあり、成田、羽田という2つの大規模な国際空港の存在もあって、東京一極集中は続きそうである。

大阪は、関西空港があるものの、大阪中心部から離れている立地の悪さもあって、国際都市とは言いがたい状況にある。
外国人観光客も、中国、韓国を中心に増えてはいるものの、外国人観光客にとっては、日本といえば、東京と京都なのである。

大阪の復興は、外国人も含めた観光客などをどれだけ大阪に呼び込めるかということがポイントになるのではないか。
その観光のキーワードは、「水」である。


次回に続く
posted by 8ちゃん at 16:00| Comment(19) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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