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2012年10月04日

田中眞紀子文部科学大臣(3)

真紀子が生まれたのは、昭和19年1月14日のことだ。
父である田中角栄が25歳、母はな33歳の時である。
当時、角栄は自ら起こした建築事務所である田中土建の社長をしていた。
新潟県刈羽郡二田村にある二田高等小学校を卒業して、15歳で新潟の長岡から上京した角栄は、夜学に通いながら職を転々とし、建築士の免許をとって、やがて飯田橋に建築事務所を起こすが、これが田中土建である。

この時、借りていた事務所の建物の大家の娘が、はなだった。彼女はその10年はど前に一度結婚したが離婚した経歴をもっていた。
はなは、前夫との間に静子という娘をもうけ、はなが実家で育てていたのだ。
そして、はなは、角栄の事務所の手伝いをするうちに深い関係が出来、やがて妻となるのである。
そして、角栄とはなの間に眞紀子が生まれるのである。

眞紀子には1歳違いの兄がいたが、小児結核でわずか5歳で夭折している。
期待していた長男を亡くした角栄は、それ以降、眞紀子をその長男に代わり、田中家のそして田中角栄の跡取りとして育てていくことになる。
実は、眞紀子には姉もいた。
母親の連れ子である静子である。
静子は、眞紀子よりも10歳年上であったが、その存在は、驚くほど影の薄いものだった。
眞紀子は、他人に対して「自分は一人っ子」というのが口癖だった。
実際、田中家に出入りする人間でも静子の存在を知るものは少なかったのだ。
眞紀子にしてみれば、夭逝した長男に代わり、跡取りとして育てられ、それを意識しているから、自分以外に角栄の子供がいることは認められないのだ。
静子もそれを察していた。
再婚者の連れ子という気後れもあったのだろう、静子は田中家に出入りする多くの人を避けるようになっていった。


次回 田中角栄の後継者として歩き出した眞紀子へと続く。
田中眞紀子と角栄の愛人の子を巡る因縁の対決とは…
posted by 8ちゃん at 16:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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