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2012年10月05日

田中眞紀子文部科学大臣(4)

眞紀子が3歳の時に、角栄は衆議院議員に初当選し、角栄の政治家としての権力は次第に増していったが、その権勢の中で眞紀子の人格は形成されていくのだ。
眞紀子は、田中家にとって特別な存在であった。
跡取りである眞紀子は、自宅で正月や法事で親戚が集まった際には、母親のはなよりも上座に座らされていた。
眞紀子よりも上席に座るのは、角栄しかいなかった。
使用人や田中家に出入りする人たちに眞紀子は上からものを言うことが当然と思えるようになっていったのだ。

腹違いの姉である静子を日陰の身にした眞紀子であったが、田中角栄はその風貌からも分かるように、精力が有り余る人間である。
正妻との間の子である眞紀子のほかに、角栄は多くの子供をつくっていた。

角栄の私設第一秘書であり、角栄の後援会である越山会の金庫番で「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子との間にも、敦子という女の子をつくっているが、この敦子は認知されていない。

また、角栄には、神楽坂に辻和子という芸者の愛人がいた。
もともとは木場の材木商の娘で、家業がつぶれ、養女に出て、神楽坂で芸者をしていた女性である。
角栄は和子を20歳の頃に見初め、二人の男の子をもうける。
田中京、田中祐という兄弟である。
この神楽坂の家には、眞紀子が乗り込んでひと騒動起こすのだが、そんなこともあってか、辻和子は二人の息子を認知するように角栄に強く迫り認知させている。
この認知の有無が、将来の遺産相続においては暗明を分けることとなる。

このほかにも、角栄の子供であることを主張するものが複数いたが、それらの帰結については明らかとはなっていない。
たぶん、日本のあっちこっちで田中角栄にそっくりな人間が今も生息しているのだろう。


次回、眞紀子と田中直紀との出会いと結婚へ続く。
父角栄が仕掛けた罠とは…
posted by 8ちゃん at 16:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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