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2012年10月06日

田中眞紀子文部科学大臣(5)

眞紀子が結婚したのは、昭和44年4月のことである。
相手は、熊本県知事や衆参両院の議員を務めた鈴木直人の三男、直紀である。
直紀は、慶応大学を卒業して日本鋼管に勤めるエリートサラリーマンだった。
眞紀子は、普段から、背の高い慶応ボーイが理想だと友人に話していたが、角栄と直紀の父が首相であった佐藤栄作邸で何回か会ううちに、眞紀子と直紀は出会い、眞紀子が一目ぼれしたというのが、真相のようだ。

直紀の鈴木家は名門である。
直紀は三男とはいえ、田中家への養子縁組を前提とした眞紀子との結婚には、直紀の母親である鈴木宮子を中心に強い反対があった。

しかしそこは、ブルドーザーの異名を持つ田中角栄である。
佐藤栄作夫人の寛子に懇願して、直紀の母親の宮子を説得するなどして、眞紀子が一目惚れしてから、結婚まで半年という超スピードで結婚を成し遂げたのである。
ただし、鈴木家にとっても大事な息子を田中家へ渡すのであるから、結婚までは両家の駆け引きが熾烈を極めたのである。
結婚式は、ホテルオークラの平安の間で行われたのだが、結婚式当日まで両家が大声でやり合う姿を何人もの人が目撃している。
結局、田中家としては、直紀を婿養子とするための条件を飲まざるを得ないこととなったが、その条件は3つあった。
@直紀を父・鈴木直人の選挙区だった福島3区から衆議院選挙に立てること。
A田中家の全財産は将来、直紀に譲ること。
B以上の約束を披露宴で公表すること。

結婚式は順調に進み、角栄は、花嫁の父親として挨拶に立った。
新婦の父として、来賓などにお礼を述べた角栄は、鈴木家と約束した直紀を婿養子に迎えるための条件について、話し出す。
角栄は、一つ目の条件を言い終わった時、涙を流して言葉に詰まらせた。
一般的には、よくある感動的な花嫁の父の光景ではあるが、この場合は少し違っていたのだ。
涙を流して言葉に詰まったまま、参加者のもらい泣きに包まれて、角栄は、2つ目以降の条件を言わないまま、挨拶を終えたのだ。
田中家の財産は、角栄が一代で築きあげたものである。
他人になんか、渡すことは出来ないのだ。
こうして、田中家の全財産を将来直紀に譲るという鈴木家との約束を角栄は巧妙に反故にしたのである。
角栄の目論見は自身の死に際して、直紀への遺産が遺言されていないことで、完結し、直紀は田中角栄の財産を引き継ぐことはなかったのである。


次回、角栄亡き後の田中眞紀子へと続く。
眞紀子が切り捨てた人たちとその代償とは…
posted by 8ちゃん at 16:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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