あなたのひと押しで第1位へ
コメントが、書き込みにくい場合は、下のFC2版からお願いします。

2012年10月07日

田中眞紀子文部科学大臣(6)

角栄が倒れると、眞紀子は角栄の側近議員など人脈と次々と紛争を起こし、田中家を支えてきた人たちを切り捨ててゆく。
角栄の治療方針を巡って病院とも対立して、無理やり角栄を退院させたことが、角栄の寿命を縮めたとの観測もあるのだ。

さらに、眞紀子は、地元新潟の田中家実家を守り、後援会婦人部隊の中心になって角栄を支え、角栄が厚く信頼していた角栄の実の妹である風祭幸子とは、角栄の治寮法をめぐって険しく対立し、幸子は、眞紀子に田中家を追い出されている。
角栄に認知された異母弟である神楽坂の田中京・祐の兄弟にいたっては、角栄が病いに倒れて以降、一度も父親に会わせてもらえず、裁判所に対し、父親に会わせてくれるよう調停まで起こさなければならなかった。

眞紀子は、母親の連れ子だった姉の静子とも断絶状態で、遺産の分割をめぐって静子は眞紀子を訴えている。

特に、角栄の秘書であり、愛人でもあった佐藤昭子に対する眞紀子の攻撃は凄まじかった。
佐藤昭子は、「金庫番」と呼ばれるだけあって、角栄の遺産の全てを把握していたし、その資産形成に際して、佐藤自身が尽力したという自負もあった。
そして佐藤は眞紀子に対して、角栄の遺産の分配を強く求めたのだ。

眞紀子は、子供の頃から角栄と佐藤昭子の乱れた関係を嫌悪していたこともあって、佐藤を田中家から追放し、認知されていない角栄と昭子の娘である佐藤敦子に対する遺産相続についても裁判により争うことで、敦子には1円の金も与えなかった。

因みに、角栄の遺産は、新潟や目白の豪邸、別荘、有価証券などなど約800億円とも言われたが、眞紀子は、不動産評価を下げるために土地を分割登記して、バラバラに関連企業や田中直紀の名義を混ぜることで、119億円にまで圧縮するということをやっている。
また、新潟の広大な土地をファミリー企業に分散して所有させ、それを僅かな評価の株式で相続するという形をとるなど、眞紀子が節税した金額は470億円に達するといわれている。
眞紀子は、金に関しては異常なまでの執着心を露呈させるのである。

眞紀子が追い出したのは親族だけではない。
長年、田中家に仕える使用人や秘書、書生に対しても、眞紀子は、些細なミスや言掛りに近い理由をつけて首を切っていった。
皿を割った女性使用人には、熱いカレーを顔にかけたこともあった。
真紀子のとどまるところを知らない独裁、暴虐ぶりは、やがて自分への報いとなって、返ってくる。

長男・雄一郎である。
優秀で聡明と評価が高かった眞紀子の長男雄一郎は、慶応中・高を経て慶応大学に進み、卒業後は公認会計士、経営コンサルタントとして独自の道を歩んでいる。
真紀子はその最愛の息子と、いや正確にいえばその妻と事実上の断絶状態にあるのだ。
雄一郎は、大学時代の恋人とそのまま恋愛結婚したのだが、眞紀子はその結婚に大反対し、激怒する。
「結婚したいなら、出ていけ!」と眞紀子言われた雄一郎は、そのまま家を出ていった。

他の血縁者を次々と切り捨てて、田中家唯一の相続人となった眞紀子ではあるが、自分の最愛の息子に縁を切られることは、想像していなかっただろう。
何となく、息子、雄一郎が家を出てからの眞紀子に、覇気がなくなったと感じるのは私だけだろうか。
眞紀子は、こうして父親の築いた人間関係をすべて断ち切っていったのである。


次回、最終回へと続く。
posted by 8ちゃん at 16:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事のランキングはこうなっています。⇒ひらめき
ご訪問、ありがとうございました。またのお越しをお待ち申しあげております。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。