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2012年10月10日

金本知憲

4万7106人の金本ファンで埋まった阪神甲子園球場。
5位が確定している「あかんたれチーム」の消化試合にこれほどの観客が集まったのは、金本知憲という男の力だ。
阪神球団は、この日の売上を全部、金本知憲に差し出すべきである。

中央大学野球部の野球推薦の試験に落ち、ヤクルトスワローズの入団テストにも落ちて、当時無名だった東北福祉大学に、野球推薦ではなく、一般受験生として入学した男が、数々の大記録を打ち立てて今、甲子園を去る。

「まだやれるぞー」
「阪神の4番はお前だけや」
「替わりに25番引退せい!」
ファンの悲鳴のような声援を受けて、金本は長年闘ってきたライバルである横浜ベイスターズの三浦大輔と対峙していた。

今から、21年前の1991年秋のドラフト会議。
広島東洋カープは、4順目に金本知憲を指名した。
他球団と競合することもなく、地元広島出身ではあるが、広陵高校時代には1度も甲子園に出場していない外野手を指名したのだ。

この年のドラフト会議は、指名枠が1チーム6人から10人に増えていたし、プロ入団を拒否している選手を指名しないことが申し合わされていたので、各チームはゆとりをもって、指名できたのだ。

因みに、この1991年のドラフト会議では、下位指名された選手がその後活躍しているようだ。
高校生のイチローは、オリックスから4位指名を受けた。
中村紀洋も近鉄の指名は4位であった。
ハマの番長こと三浦大輔は当時の大洋ホエールズが6位で指名していた。
阪神タイガースでは桧山進次郎が4位で指名されている。

さて、話を甲子園に戻そう。

この日、4番、レフトで先発出場出場した金本は、1アウト一、二塁にランナーをためて、向った第1打席は、三浦大輔の128キロのフォークボールで内野ゴロ打ち取られた。
第2打席は、3回走者なしで139キロのストレートを豪快な空振り三振。
そして、迎えた第3打席は、六回の先頭打者として、2ストライクからの3球目の三浦大輔得意のシュートを中前にクリーンヒットしたのだ。
金本らしい、糸を引くような打球であった。
そして、新井の初球に今季3つ目の盗塁を成功させ、超満員のスタンドは大歓声が鳴り止まなかった。
これが、金本知憲の甲子園での最後の打席となった。

金本は、通算打点が1521で、歴代7位の長嶋茂雄にあと1と迫っていたのだが、もはやそんなことはどうでもいいのだ。

阪神というチームは、阪神教とも揶揄される熱狂的なファンが、勝っても負けても甲子園を埋めてくれる。
そんな人気に胡坐をかいた球団は、チームの強化策といえば、毎年高額の契約金で使い物にならない外人を採ってくるだけであった。
アメリカで賞味期限切れの外人にとっては、阪神は、究極の生活保護、セーフティネットだったのだ。

そこへ、金本知憲がやってきた。
球場へ一番乗りして練習を始め、どんな打球でも全力疾走する金本の姿を見て、阪神の選手に何かが生まれ始めた。

その結果は、2回のリーグ優勝という形ですぐに現れ、5位と6位しか知らなかった阪神の選手は優勝という未知の感激に酔った。

この阪神優勝を支えたのは、金本、矢野、下柳、桧山といったベテランであることに間違いはない。
身体が衰えることを練習量や技術でカバーして、若手に影も踏ませない活躍をしたベテラン達は、矢野が去り、下柳が去り、金本と桧山だけになっていたが、金本が座るベンチ右奥の指定席は、若手がいつも緊張するエリアであり続けた。

金本知憲よ。
ごくろうさま。
広島から移籍して初めてのカープ戦、スタンド全体から温かい拍手に包まれた金本知憲。
デットボールを投げた相手の若手投手に「気にするな。どんどん責めて来い」と声をかけた金本知憲。
書きたいことは、まだまだあるがきりがない。

君が阪神に残した遺産は、決して風化させない。
そして、いつか指導者として戻ってくるまで、ベンチの指定席は空けておくから。
posted by 8ちゃん at 17:26| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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