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2012年10月13日

甦れ大阪

大阪の街は、東京に経済規模において、随分遅れをとっている。
戦前は東京を凌ぐ商都であった大阪ではあるが、主要な企業が本社を次々に東京へと移転し、有名企業で大阪に残っているものは、ごく小数になってしまっている。
ワコールや任天堂といった企業が、本社を移転させないでいる京都とは、大きな違いが出ているのだ。

さて、この大阪に過去の栄光の取り戻すには、どうしたらいいのだろうか。

第2次世界大戦が大阪を大きく変えた。
昭和1945年1月3日、阿倍野区の上空をアメリカ軍機10機が通過した。
そのうちの1機が焼夷弾を投下したのが大阪への空襲の始まりであった。
そして、3月13日には、アメリカ軍のB29爆撃機274機による空前の規模の空爆があり、この時だけで、1,733トンの焼夷弾が大阪中にばら撒かれたのだ。
その後、終戦の前日である8月14日まで、大阪への空襲は、28回にも及び、全市内の27%が焦土と化したのである。
死者1万388人、負傷者3万5543人を出した空襲により、商家が連なる風情ある大阪は壊滅してしまった。
大阪の人々は、立ち上がる気力も失せていたのである。

悲惨な戦争が終わっても、大阪はすぐに復興は出来なかった。
戦勝国であるアメリカを中心とした連合軍は、1945年10月20日から、大阪に米兵2万8000名を進駐させ、焼け残った主要施設を全部接収した。
西区の靭公園などは、アメリカ軍の飛行場になっていたのだ。
そして、大阪の行政は、連合軍の民事行政専門のスタッフが行い、GHQが統治したのであった。

この連合軍による統治は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約調印の後、翌年の1952年まで続き、大阪が本格的な復興に着手出来たのは、それからということになる。

ところで、日本の他の主要都市に比べて大阪は緑が極端に少ない。
明治神宮周辺などの広大な緑地を有する東京に比べても、大阪は北区や大阪城公園のある中央区の一部を除いて、緑といえば僅かな街路樹のみであり、南部や東部では、その街路樹すらない道路が多く、一言で言うと「ごちゃごちゃした街」なのである。

これは、復興に際し住居や道路、橋といった生活インフラの整備を優先したからである。
公園計画も大阪に112ヶ所、824万uの後援を作る計画はあったようなのだが、住む所がなく、道路が破壊されて通行できない現実の前には、その計画は実現されることはなかった。

さて、このように街が雑踏化し、主要企業も少なくなった大阪をどのように復権していけばよいのだろうか。

首都への企業の集中は、震災の影響から、会社機能の分散化を検討している企業が増えるなど、若干の変化は見られるものの、許認可権を有する官庁の本省が東京にあり、成田、羽田という2つの大規模な国際空港の存在もあって、東京一極集中は続きそうである。

大阪は、関西空港があるものの、大阪中心部から離れている立地の悪さもあって、国際都市とは言いがたい状況にある。
外国人観光客も、中国、韓国を中心に増えてはいるものの、外国人観光客にとっては、日本といえば、東京と京都なのである。

大阪の復興は、外国人も含めた観光客などをどれだけ大阪に呼び込めるかということがポイントになるのではないか。
その観光のキーワードは、「水」である。


次回に続く
posted by 8ちゃん at 16:00| Comment(19) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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