あなたのひと押しで第1位へ
コメントが、書き込みにくい場合は、下のFC2版からお願いします。

2013年03月14日

そこと違うねん

文部科学省が、学校での「体罰」とはどのようなものかを示した通達を出した。

大阪市立桜ノ宮高校での体罰問題を契機に文科省が体罰の禁止を各教育委員会に指示したところ、各教育委員会や現場から、何が体罰に当たるのか明示してほしいとの申し出が相次いだためらしい。

その内容を見ると、殴る蹴るといった行為に加え「ペンを投げつける」「体育の時間に危険な行為をした生徒の背中を踏みつける」「生徒が苦痛を訴えても正座を続けさせる」などが「体罰」としている。
教師の自己防衛や他の子どもを守るための行為は、例えば「暴言を吐き、逃げようとする生徒の両肩をつかんで壁に押しつける」とか「試合中、敵チームに殴りかかろうとする生徒を押さえつける」などこれは認められるそうだ。

また、生徒に「居残りをさせる」とか「当番を多く割り当てる」「練習に遅刻した生徒を試合に出さない」といった、一見イジメのような行為も、「懲罰行為」として許されるそうである。

私の感想は…「アホか!」である。

桜ノ宮高校の事件では、体罰が原因で生徒の生命を奪ったのだから、事件の再発防止に向けた取り組みをするのは当然としても、こんなものをいちいち役所から例示してもらわないと、物事の判断ができないのか。
学校側としては、自分の子供の非行を棚に上げて、注意した教師を吊るし上げるような、モンスター親からの被害を懸念したのだろうし、実際には紙に書いて示さないと理解できないといったアホ教師も沢山いるのだろう。

しかし教育の現場は生き物である。
こんな一片の通達に書かれていない事態が常に発生するのだ。

こん通達を出すと、アホ教師などはきっと、こう考えるだろう。
「ふむふむ。居残りとか掃除当番を多く割り当てても大丈夫なんや…。」

こんなアホ教師は、@生徒の行為の悪さ加減がどの程度のものなのかの判断や、A口頭注意なのか懲罰を行なうに値するものなのか判断、B他の更生方法の模索、C懲罰を行なう明確な目的の伝達や、D懲罰手法、程度の選択、決定といったことなど、やらないに決まっているのだ。

物事の判断で、最終的な決め手となるのは「定型」ではなく「常識」だ。
人間としての常識を持って生徒に接すれば、こんな画一的な紙切れは要らないのである。
こんな通達が必要なくらい、教育の現場では常識のある人間がいなくなってしまったのか。

勿論、ちょっと注意されたら、大騒ぎするアホな親も悪いし、正確な事実関係を取材しないで記事にするマスコミも最悪だが、こんなことを続けていると、教育現場は、今以上にサラリーマン化が進行して、教師は「何もしないこと」が最大の保身であると考えるようになるだろう。

殴ったり、蹴ったりして生徒に傷をつける行為は、体罰以前の問題で、刑事事件として立件して牢屋にぶち込めばよいのだ。
学校や教育委員会に自浄能力がないのなら、最初から警察や検察を動かせばよい。

この問題は、取り組みの方向が間違っていないだろうか。
体罰ばかりがクローズアップされるが、頭をゴンと叩かれることよりも、教師に毎日、「お前は性格が暗い。」などと言い続けられるほうが実は問題なのだ。
アホ教師の心無い言葉で、心に深い傷を負うほうが深刻なのだ。

桜ノ宮高校の事件においても、生徒は精神的に追い詰められていたことが窺える。
そして、その生徒のシグナルを感じ取れなかった、感じても何もしなかった周りの大人たちが生徒を死に追いやったのだ。


今、教育の現場に求められているものは、体罰という言葉の解説書ではなく、学校、家庭、地域そして行政がそれぞれの立場で「常識」を持つことではないだろうか。


な!な!な!なんと!
ランキングが1位になりました。
これも、ひとえに皆様方のおかげでございます。
三日天下にならないよう、ここはもう一押し、お願いいたしまする。

毒舌日記 ブログランキングへ



posted by 8ちゃん at 16:33| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事のランキングはこうなっています。⇒ひらめき
ご訪問、ありがとうございました。またのお越しをお待ち申しあげております。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。